母
神戸のコンサートに今回の企画を持ちかけるときに私の中で真っ先に決まっていたのはこの「元・女優」をもう一度舞台にひっぱりだすことだった。
女の子はできるだけ早くいいところにお嫁に行くのが一番の幸せだと信じて疑わずその強烈な人格で、長女である母を徹底的に自分の思うとおりの方向へ生きさせようと必死だった祖母。もちろん当時はそういう時代だったのだけど。
そんな祖母に反発して家を出て自分で働きながら大学に通い劇団に入団。
そこで看板女優として活躍する中、父に出逢う。
”私は欲張りだからなんでもしたかったの。女優にもなりたかったし結婚もしたかった。
子供だって欲しかった。”
母はとても好奇心の強い人である。
74歳になった今でも新しいもの、未知のものに対して決して身構えず
どんどん吸収している。
そんな母が実は「器用な人」ではなくとっても「不器用な人」なのだと気が付いたのはかなり最近のことである。
なんでも器用にさらっと出来ちゃう人なのだとず~っと思い込んでいた私は
その発見にかなりの衝撃を受けたのを覚えている。
「・・・ということは、さらっとやっているように見えて実はとんでもない努力がその裏に隠されているっていうわけで・・・。」
3人の子供の子育てと父の仕事の支援のため結局女優活動を断念することを
選んだ母は以前よく「お父さんにだまされた。」と冗談混じりながらも
かなり本気で言っていた。
6年前に父が亡くなって、母がいつも言う「人生の最終章」を歩み始めたころから
この言葉の響き方が変わってきた。
”結局、自分はやりたかったことは全部やってきた。女優もした。結婚して子供も持った。
人生の最終章が始まったときにふと振り返ってみても後悔することは何もない。
こんな幸せなことってあるだろうか。”
40年以上続けてきたフランス刺繍の世界で
母は日々創造の喜びと苦しみの中でもがいている。
女優をやめた母にとって形にできる自己表現のはけ口だったのかもしれない。
朗読の本番が近づきリハーサルに立ち会うため神戸に向かう新幹線の中で
ふと、母が気が付く。
”刺繍の道具を全く持たずに出てきちゃったわぁ”
舞台から離れて久しく、いろんな煩悩や不安に悩んだ末に迎えた本番。
期待通り、いやそれ以上に堂々とその生きざまを見せ付けてくれた。
一舞台人同士として同じ舞台に立てた事で私も少しは母の在る高みに近づけただろうか。
by kyoyoshi215
| 2005-10-09 15:03
| 街・人・風景(日本)