クリムト「アデーレ」と暫しのお別れ!?
昨日のこと。
2週間前のブログでお伝えしたクリムトの絵の調停裁判判決の執行日がやってきました。
結局オーストリア共和国はこれらの絵を買い戻すことを断念。
理論的にはすぐに撤去される可能性もあるわけで・・・。
速攻で行ってきました。
とるものもとりあえず駆けつけた私だったので残念ながらたっぷり時間があったわけじゃなく久しぶりのベルヴェデーレ訪問だったにもかかわらず、「とにかくクリムトだけみて早々に帰らねば(汗)」とあたふたした気分で他の部屋をすっとばしクリムトの部屋へ・・・。
部屋に足を踏みいれた途端、時間の流れが急ブレーキ。あたふたして舞い上がっていた自分がすと~んと地面に降りてきた。な~に時間に追われちゃってるのさぁ・・・と自責。
そんな状態で作品見たって感じるものも感じなくなっちゃうよ。
ふぅ~っと深呼吸。ゆっくり、ゆっくり・・・目指す「黄金のアデーレ」へ歩みを進める。
隣に並ぶ「接吻」とも久々の対面。やはり目が行く。
いやいや、順番に順番に・・・。
時間はたっぷりある。た~っぷりある。
ごくり。。。スゴイ。やっぱりスゴイ。
最近写真や複製やポスターやネット上やあらゆるところでひっきりなしに目にしていた”まがいもの”のせいで私の頭の中に出来上がっていた”まがいもの”とは恐ろしく違っていてほとんどショック。
もちろんそういった”まがいもの”のおかげで興味を持つきっかけになって”ほんまもの”との出逢いへ一歩近づくことになるとは思う。でもそんな頻繁に”ほんまもの”と会えないんだったらあまり頻繁に”まがいもの”には触れないほうがいいのではないか・・・。
実際、昨日たっぷり”ほんまもの”に触れてきた私の頭の中にはすっかり違う画像がインプットされている。もちろんそれも時間とともに少しづつ私の個人的な勝手な方向へ変化していくのは免れない。でもそこで感じたものは永遠に”ほんまもの”であり続ける。
ほんまものと生で対峙することの大切さをまたまた実感。
結局、「黄金のアデーレ」がある部屋には延べ時間一時間ぐらいいたかな。
だって、「接吻」もあるんですからぁ・・・。
それに、ひそかに私のお気に入りの「ユーディット I(Judith I)」もあります。
(このユーディットの恍惚の表情はたまりません。もう、ほんとグッときてしまうの。)
”延べ時間”と書いたのはずっとそこにいたわけじゃないから。
それだけ見てさっさと帰ろうと思っていた当初のあたふた状態からはとっくにおさらばしていて、他の部屋もゆっくり見て回ったから。エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカなどの主要作品のほかにも一、二点ではあるけどゴッホ、ルノワール、マネ、モネ、ムンクといった面々の作品もある。
これらの作品とは別の階に古典主義、ロマン主義、ビーダーマイヤー様式の絵画にあてられていて多くの肖像画や風景画の展示室があるのだけど、そこで楽しい光景に出会った。(”楽しい”と言う表現は実はしっくりこないのだけど他にぴったりする言葉がみつからないのでとりあえずそう表現しておこう。)
5~6歳くらいの子ども10人くらいのグループが若いお姉さんのもと絵の鑑賞ツアーをしていたのでです。それも通り一遍というような感じではなくてひとつの部屋に延々と座り込み様々な角度から絵を見る楽しさを体験しているのです。例えば、ある形の切り絵を示して「これはなんだと思う?」「何をしているところかな?」「じゃあ、この部屋の中のどの絵の中にこれと同じのがあるでしょう?」とか。そこでその絵のお話や感情や何を表現しようとしているかなどを子どもたちに問う。みんな絵に張り付かんばかりに近づいてもう興味津々。もちろんそのときに近づきすぎないことなどもお姉さんはさりげなく教えている。
なんだかとにかくこころがほんわかして楽しく幸せな気分。
なんてポジティブな光景でしょ。
こんなところに来るのによくもあんな落ち着きのない状態でやってきたもんだと自分の小ささにあたまポカポカしたくなったよ。でも、行動を起こしたことは褒めてあげよう。おかげでまた素敵な体験が出来たしリフレッシュしたし頭の中の”まがいもの”も”ほんまもの”の感動に入れ替わった。
後記:「黄金のアデーレ」を含む5点の絵はあさって(5日)までの展示とのこと・・・。
2週間前のブログでお伝えしたクリムトの絵の調停裁判判決の執行日がやってきました。
結局オーストリア共和国はこれらの絵を買い戻すことを断念。
理論的にはすぐに撤去される可能性もあるわけで・・・。
速攻で行ってきました。
とるものもとりあえず駆けつけた私だったので残念ながらたっぷり時間があったわけじゃなく久しぶりのベルヴェデーレ訪問だったにもかかわらず、「とにかくクリムトだけみて早々に帰らねば(汗)」とあたふたした気分で他の部屋をすっとばしクリムトの部屋へ・・・。
部屋に足を踏みいれた途端、時間の流れが急ブレーキ。あたふたして舞い上がっていた自分がすと~んと地面に降りてきた。な~に時間に追われちゃってるのさぁ・・・と自責。
そんな状態で作品見たって感じるものも感じなくなっちゃうよ。
ふぅ~っと深呼吸。ゆっくり、ゆっくり・・・目指す「黄金のアデーレ」へ歩みを進める。
隣に並ぶ「接吻」とも久々の対面。やはり目が行く。
いやいや、順番に順番に・・・。
時間はたっぷりある。た~っぷりある。
ごくり。。。スゴイ。やっぱりスゴイ。
最近写真や複製やポスターやネット上やあらゆるところでひっきりなしに目にしていた”まがいもの”のせいで私の頭の中に出来上がっていた”まがいもの”とは恐ろしく違っていてほとんどショック。
もちろんそういった”まがいもの”のおかげで興味を持つきっかけになって”ほんまもの”との出逢いへ一歩近づくことになるとは思う。でもそんな頻繁に”ほんまもの”と会えないんだったらあまり頻繁に”まがいもの”には触れないほうがいいのではないか・・・。
実際、昨日たっぷり”ほんまもの”に触れてきた私の頭の中にはすっかり違う画像がインプットされている。もちろんそれも時間とともに少しづつ私の個人的な勝手な方向へ変化していくのは免れない。でもそこで感じたものは永遠に”ほんまもの”であり続ける。
ほんまものと生で対峙することの大切さをまたまた実感。
結局、「黄金のアデーレ」がある部屋には延べ時間一時間ぐらいいたかな。
だって、「接吻」もあるんですからぁ・・・。
それに、ひそかに私のお気に入りの「ユーディット I(Judith I)」もあります。
(このユーディットの恍惚の表情はたまりません。もう、ほんとグッときてしまうの。)
”延べ時間”と書いたのはずっとそこにいたわけじゃないから。
それだけ見てさっさと帰ろうと思っていた当初のあたふた状態からはとっくにおさらばしていて、他の部屋もゆっくり見て回ったから。エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカなどの主要作品のほかにも一、二点ではあるけどゴッホ、ルノワール、マネ、モネ、ムンクといった面々の作品もある。
これらの作品とは別の階に古典主義、ロマン主義、ビーダーマイヤー様式の絵画にあてられていて多くの肖像画や風景画の展示室があるのだけど、そこで楽しい光景に出会った。(”楽しい”と言う表現は実はしっくりこないのだけど他にぴったりする言葉がみつからないのでとりあえずそう表現しておこう。)
5~6歳くらいの子ども10人くらいのグループが若いお姉さんのもと絵の鑑賞ツアーをしていたのでです。それも通り一遍というような感じではなくてひとつの部屋に延々と座り込み様々な角度から絵を見る楽しさを体験しているのです。例えば、ある形の切り絵を示して「これはなんだと思う?」「何をしているところかな?」「じゃあ、この部屋の中のどの絵の中にこれと同じのがあるでしょう?」とか。そこでその絵のお話や感情や何を表現しようとしているかなどを子どもたちに問う。みんな絵に張り付かんばかりに近づいてもう興味津々。もちろんそのときに近づきすぎないことなどもお姉さんはさりげなく教えている。
なんだかとにかくこころがほんわかして楽しく幸せな気分。
なんてポジティブな光景でしょ。
こんなところに来るのによくもあんな落ち着きのない状態でやってきたもんだと自分の小ささにあたまポカポカしたくなったよ。でも、行動を起こしたことは褒めてあげよう。おかげでまた素敵な体験が出来たしリフレッシュしたし頭の中の”まがいもの”も”ほんまもの”の感動に入れ替わった。
後記:「黄金のアデーレ」を含む5点の絵はあさって(5日)までの展示とのこと・・・。
by kyoyoshi215
| 2006-02-04 06:44
| 街・人・風景(ヨーロッパ)