ウィーン在住ピアニスト吉澤京子のらくがき帳
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「それが答えだ!」サントラ・クラシック・ヴァージョン2 マエストロ鳴瀬望~名場面曲集

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カテゴリ:病気( 5 )

14センチ

お腹の傷跡の長さです。結構大きいです。
抜糸するまではその両脇に赤と黄色のカラフルなボタンのようなものが取りつけてあって、なんだかえくぼつきスマイルマークみたいになってました♪

術後3週間、うっすら残っていたかさぶたたちがみんな取れてきれ〜いになりました。
今は赤みがかった細〜い一文字がくっきり見えます。
でも、ほんとにきれいに切ってあるから時間と共にほとんどみえなくなりそう。。。というか、皺と見分けがつかなくなるんじゃないかな〜!? 笑。

ほんとに横切りでよかったぁ。。。。*^^*


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by kyoyoshi215 | 2007-05-17 20:38 | 病気

皮膚科におじゃましま〜す

病院から提供される使い捨ての下着が大問題になったはなし。

最初の3日間はほんと快適。切って捨てておしまいだったから。
それが、あるとき突然お尻の一部がチクってしたかと思ったらその周辺が猛烈に痛かゆくなって我慢できなくなり掻いてしまったらその部分がぷく〜っと腫れて赤くなってしまったのです。すぐに看護士さんに申し出たら、きっとかぶれたんでしょうととりあえずその部分にだけガーゼをあてて様子をみていました。その夜、なんと、かゆみで眠れず診てもらったらお尻だけでなく両脇腹にぶわ〜っと発疹がでて赤くブツブツなってしまったのです。即、下着を持参の綿100%のものに着替えてかゆみ止めの飲み薬と塗り薬で対処してとりあえず就寝。なんとか眠れましたが、翌日も良くなる気配がなくそのうえ心なしか広がっているようにも思え・・・。翌晩は皮膚科の先生が来てくれてじっくり診てくれて「あ〜これは典型的な過敏症発疹だね〜」と言って、より強いお薬を出してくれました。これで、もうよくなるのね〜と安心したのも一晩だけ。や〜っぱりあまり大きな効果が見られず。。。翌々日には自分の全ファイルを渡されて「7階の皮膚科に今すぐ行ってらっしゃい。」・・・。

これが、手術後7日目にして初めて自分の病室のあるステーションをでる大旅行となったわけです。術後3日目にやっとよちよち歩けるようになってシャワーも一人で浴びて、日々開腹してそれなりに動けるようにはなっていたけれど、ほんとはまだまだ無茶だったんだと思うのね。でも、どうやら一人で行ってこいっていう話に間違いないようだったから、きっと大丈夫に違いないと思って意を決して出発。同じ病院内だからエレベーター乗るだけさ!って甘く見ていたら、なんと違う病棟だったものだから延々と長〜い廊下を歩くはめに。で、やっとたどり着いて待合室を見渡してみたらすんごい人の数!!座りきれなくて壁に寄りかかったりして待っている人も沢山いて、やっとのこと空席にありついて待つこと約一時間。こっちは入院患者なんだから順番とか配慮してくれるのかと思いきや、ぜ〜んぜんそんな気配が見られず、さすがにぼ〜っとしてきて座っているのがしんどくなってくる。なんてったってとにかく凄い人の数で、一週間静かな温室生活から一歩も外に出ていなかった身にはかなり応えたぁ。このままじゃぁ、倒れちゃうまで順番が来なさそうだと見切って、直訴。
「わたし〜入院患者なんですけど〜、ふらふらしてしんどいからなんとかして〜〜〜」と直接診察室に直訴。すぐに部屋に入れてくれてとにかく診察台に横たわらせてくれて、血圧を計ってくれ、お水を飲ませてくれた。なんてったって診察台に上がるのだって一仕事。「こんな状態でなんで一人でよこしたのかしら〜〜!」って女医さん、首ひねり「帰りはちゃんと移動係に連れて行ってもらいなさい!」と早速、連絡してくれました。診察のあとお迎えがくるまで、インターンの若い男性と楽しくおしゃべりなんかしちゃって、ちとらっき〜!うまくことが運んだことに気を良くしてしまいました。*^^* お迎えは移動いす。いわゆる車いすと違って背もたれがリクライニングになるタイプのもので半分横になった状態で病院内をすすいのす〜い!

大旅行でしたが、よほどつよ〜いお薬を処方してくれた様でそれからはみるみる発疹がひいていきました。ただの過敏性かぶれみたいなものだったのだけど、わたしにとっては大騒ぎでした。
こうやって24時間いつでも、すべての分野の専門医が詰めていてすぐに診てもらえるっていうのは総合病院の大きな利点ですね。

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by kyoyoshi215 | 2007-05-13 23:47 | 病気

入院生活リポート

住めば都って病院にも言えるんだろうか・・・。
それとも私ってもしかして環境適応能力が抜群に高い!?

入院期間は12日間におよび、ちょっとした中期滞在になったわけで住み心地とかってとても大事だったと思うのだけど今思い起こしてみてもあまり文句ないのよね。やれ、食事がまずいだの、看護士さんがつっけんどんだの、窓からの眺めが悪いだのとケチを付けまくる患者さんが多いなか、こんなに欲がなくおとなしく模範的な患者もいないもんだと自画自賛!?だって病院はホテルじゃないものね〜。それに、思い描いていたよりもずっと快適だったし、看護士さんも十人十色だけど仕事はちゃんとしてるし(だいたいこんな大変な仕事に就いているというだけで、もうあんたはえらい!って感じだし)、食事だってかなりまとも。食べ物にはうるさい方だと思うけど、他人様が作ってくれたものには感謝の念という隠し味がたっぷり含まれているからよほどじゃないと大きな声で文句なんか言えない。

部屋は三人部屋。運良く窓際のベッドをもらえてほんとよかった!朝の数時間は日が当たるし、明るさが格段に違うから。窓からの眺めは残念ながら正面にど〜んと同じ病院の別病棟が立ちはだかっていてベッドに寝ている状態からはその建物しか見えず。でも、窓際に立って斜め前方を見るとすぐそばのフォルクスオパーやシューベルト教会、フンデルトヴァッサーのゴミ処理場煙突あたりからドナウ河畔、ハイリゲンシュタットのワイン畑のほうまで延々と見渡せてなかなかの眺め。何しろウィーンには高層ビルってものがほとんどないから24階建てのこの病院からの眺めはもちろんパノラマなわけ。私の病室は15階だったので充分このパノラマは楽しめました。

日本では考えられないことだけれど、患者さんだけでなく看護士さんからお医者さんまで実に様々な人種に溢れている。この入院期間だけで、ロシア人、タイ人、フィリピン人、インド人、アラブ系、東欧系のひとたちと接触。病院内にはカトリックとプロテスタントの教会の他にユダヤ教とイスラム教のお祈り所も設けてある。ウィーンのマルチカルチャー度を改めて認識。言葉さえ通じて意思の疎通が問題なければ外国人であることが肩身が狭かったりすることは全くない。ドイツ語ができなくても英語が通じるのは大前提だし。きっと日本ではそういうわけにいかないでしょう・・・。

ただひとつだけ、身体の大きさの違いで少々不自由な思いをすることに。。。
病院だからもちろん病人の動作にあわせて建物の備品がいろいろと工夫がされているわけなんだけど、それがみな微妙に身体に合わない。
ベッドの高さや便座の高さが少々高すぎて足がつかないものだから立ったり座ったりが簡単でない。シャワー室に取りつけてあるいすも同じく。それと細かいことだけど、便座に座った状態でトイレットペーパーを取ろうとしても微妙に遠くて手が届かない。これって、病院に限らずどこでもそうなんだけど、健康で身体が自由になるうちはそんなこと特に気にも止めず過ごしていること。これが、立ったり座ったりでさえ不自由で、ほんのちょっと身体を延ばして遠くにあるものを手に取ることが大仕事の状態だと切実に違いを痛感するわけ。あ〜こっちの人にはちょうどいいんだろうな〜ってね。
入院中は病院で用意してくれるすっぽり型パジャマ(長〜いシャツみたいなもの)とガウンを着てたけど、これがワンサイズしかない・・・普通の人が着るとひざ位までしかないのに、私だと足首まで。袖も20センチくらい長過ぎ!パパのシャツ着せられた小学生みたいになってました。

それでも洗濯しなくっていいってのはほんと有り難い!毎日きれいに洗濯されたものに着替えることができたし。下着も使い捨てのものが病院側から用意されていて、最初の3日間は有り難く使っていたのだけど、これが思わぬ問題を起こして・・・

と、この話は次回にまわしましょう。

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by kyoyoshi215 | 2007-05-12 22:56 | 病気

手術

手術前日午前9時、入院手続き。
看護婦さんから入院の心得やら病棟内の案内の説明を受けると同時に基本的な質問事項に答え、麻酔のための質問表に記入する。

丸一日拘束するからには最終的な検査やなんやらあるんだと思っていたら、これが全くすることなくて長〜い一日になる。
食事のコントロールと手術に向けた身体の準備ということなのでしょう。
昼食はポテトピューレと具なしスープ、午後5時半に夕食として頂いたのは具なしのスープのみ。お腹がすいてひもじい思いをするんじゃないかと心配したけど、多少の緊張があるのか問題なくクリア。

20時すぎに翌日手術をアシストする女医さんから手術の説明を受け、承諾書にサインをする。この説明ってのが結構シビアで、生命の危険があった場合その場で子宮全摘出をせざるを得ないかもしれないとか、卵巣にもし疾患が見つかって医者が取るべきだと判断したらとってしまってもいいかとか、あらゆる可能性を見越してのものなのだろうけど想像するとちょっとビビるような内容に溢れてました。

手術当日、8時まえにはシャワーを浴び終え手術着に着替えてベッドで待機。
執刀してくれるドクターが現れ、腹腔鏡(おなかに3〜4個の小さな穴を開けそこからカメラと執刀器具を差し込みモニターを見ながら手術するもの。開腹に比べ身体にかかる負担が少なく術後の回復も早い)から始める予定を変更して即開腹で始める旨を伝えられる。腹腔鏡から始めてもほぼ100%の割合で開腹に移行するだろうと私自身は確信していたので手術時間が短縮されるし余計な切開もしなくてよいので願ったり叶ったり。切り方は横切り。こちらではビキニ切り(Bikini-Schnitte)なんてしゃれた名前。

じゃ、後でね!とドクターが去っていってからまもなくしてお迎えが来る。ベッドの搬送はみな屈強な男性ばかり。ベッドに横たわったまま移動ってなんかちょっと楽しい!? 辿り着いた場所でしばらく待たされる。超近眼な私はコンタクトレンズも眼鏡もなかったら視界はゼロに等しいので何もかもなんとなくしか見えず、これがなんとも残念でした。こんな機会滅多にない(と願いたい)からせっかくのチャンスに色々見たかったのだけどね。麻酔科医が現れ、腕に麻酔&点滴用の針(刺すのは針だけどプラスティックのチューブに差し替え)を刺してくれ、一通り質問表の確認とまたまたサイン。こっちはなんでもサイン。これで最後のゴーサイン。

それから麻酔を打つまでのことはなんだか所々記憶がなくなっている。やっぱり麻酔のせいなのかな。はっきり覚えているのはピニールキャップみたいなものを頭にかぶせられたこと、お医者さんたちが着ている濃い緑の手術着と同じ色の上掛けみたいなものをかけられたこと、手術台に横たわった時に見えた大きなライト。あ〜ほんとにテレビや映画で見るのと同じだ〜ととても平凡な感想を持つ。もうひとつ印象的だったのは手術台で両腕を横に広げさせられそれぞれ台に固定されたこと。これじゃ、十字架にかけられるイエスキリストさん。思わず客観的に自分を眺めてしまいました。

それなりに緊張はしていたのだけど、演奏前の興奮に慣れている自分としてはかなり平常心に近かったかな。考えてみればお医者さんが緊張するのは筋が通ってるけど、何もしない自分が緊張するのはちと変なように思えて。待ち遠しかった手術をやっと受けられるという昂揚みたいなものと、目覚めた後に待ち受けている未知の世界への不安?

手術は丁度1時間半を要して終了。目覚めたときにまず時間を聞いたら13時15分だったからかなり眠っていたよう。目覚めてまずお願いしたのがドクターとしゃべること。どんな風にお願いしたのか全然覚えていないのだけどあの忙しいドクターがわざわざ来てくれたんだからかなり切実に懇願したのではないかな。
「どうしたの?」ってドクターが現れたときにはなんだか感動したよ。
「先生!子宮残ってますか?」
「もちろん!筋腫だけちゃんととったからね。細かいことはあとでね。」
「ありがとうございます・・・」
これだけのことだったけどほ〜っと気持ちが落ち着いてまどろみの世界へ再び落ちていきました。この時のことは痛みの記憶よりも、とにかく眠くてぼよよんとしていて断片的に目覚めた時の周りの様子とともに、まさに夢の中のできごとのようにもやにかかった記憶ばかり。実際ぼやっとしか見えなかったせいもあるのでしょうけど。
(おなかの上に砂袋みたいなものが乗っかってたな〜、そういえば。あれは何のためだったんだろう?その砂袋を取った途端にえらく痛んだ覚えが。。。)

病室には14時過ぎに帰還。そのころにはかなり意識もはっきりしていて、痛みもひどくなく麻酔の副作用もなく調子上々。早速、彼と母に電話。無事手術成功の報告をする。病院内は携帯電話禁止かと思いきや、なんのなんの使い放題。ベッドから動けなかった最初の3日間は特にこれが有り難かったけれど、病室での会話は遠慮がちに小声でというごく日本的なマナー感覚はまさに日本人だけ・・。これでのちのちかなり悩まされました。
電話かけられるくらい調子が良かったのは最初の何時間かで、夕方からは麻酔の副作用の吐き気に悩まされ苦しみました。吐き気止めも打ってもらっているのに、ほんのちょっとした身体の動きをきっかけに始まった吐き気は結局吐いてしまうまで止まらず、この吐くという動作が猛烈におなかの痛みを伴って、こんなに痛んでいいものだろうかと心配になるくらいの激痛を経験することに。看護婦さんが「ゆっくり鼻から息を吸って口からはいて!そのことに集中して!」と横で檄を飛ばしてくれる。そうこうするうちに寝入ったようです。手術当夜は一時間ごとに出血量の確認と血圧の測定をしていたよう。このことはあとで自分のカルテを覗いてわかったことですが。。。

なかなか血圧が上がらず上80くらいをさまよっていたため、結局翌日300mlの輸血を受けることに。手術が予想以上に大きなものになったことで出血量が多かったことと悪いことに生理が重なってしまったことで、血液の絶対量が確実に不足していたわけ。他人の血が身体に入るってかなり抵抗あったし、拒否反応や病気の感染などに対する不安もあったけど結局はドクターの判断を信じるしかないし、何か起こる確率の少なさを自分に言い聞かせるしかなくて・・・承諾。
またしても、サイン。

ん。でもそんな風にして手術は見事無事成功したわけだ。

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by kyoyoshi215 | 2007-05-11 23:57 | 病気

初めての・・・。

入院、手術してきました。

今年に入ってからまるで医者に通うのが仕事みたいになっちゃって、検査やら何やらであっちこっち行ってました。
切ったのはおなか。子宮筋腫です。

最初の診断では子宮全摘出と言われて、目の前真っ暗。まったく油断していたところに奇襲を受けたような形で心の準備も何もあったものではなく。。。悪性肉腫の疑いがあったのだそうで、一刻も早く手術を受けるようにと勧められ、その一方でもちろんセカンドオピニオンを求めることも促されました。

まずは「敵を知ること」と、主にインターネットでの情報収集に明け暮れることに。子宮筋腫とは何か、どんな種類、症状、治療法があるのか。手術するかしないか、ウィーンでするか日本でするか。。。早速日本にも飛んで、MRI検査。

4人目に診てもらったウィーンの大学病院の先生にお願いすることに決めたのが3月末。唯一人、迷いなく「全摘」を覆し、核出手術を断言してくれたのが何よりの決め手だったけど、結局はこの人に任せようという第六感というか、勘というか、そんな根拠のないものの力の方が強かったように思う。
どのお医者さんも診断が間違っているとかではなくて、どの観点から見るか、どの程度のリスクを冒険するか、何を最優先するか、そして人間的にどのくらい信頼感を得られるか・・・などが自分とどのくらい相性が合うかってことなんだと思う。

子宮筋腫は良性で、ある意味で身体の一部みたいなものだから、自覚症状がなく不妊や流産の原因にもならなければ普通は共存することのできるもの。だからそれ自体、「病気」と呼べるもかどうかも私の中では「?」。なぜ出来るのかははっきりわかっていなくて予防策もない。そんなわけでどんな対応をするかは余計のこと「自分」ひとりで決めるしかなく、お医者さんは「自分だったらこういう対応をします」と言い放つだけであとは本人の選択のみなのである。
この「選択」期間がなによりしんどかった。どの選択が合っているとか間違っているとかじゃないだけに、自分との向き合いが主な作業だったから。早い段階でいい先生に出会えたことでその作業の泥沼にはまり込まずにすんだのは幸いでした。

手術日が決まってからはもう自分の仕事は終了という感じで、早く手術日にならないかな〜と待ち遠しく指折り数える日々。決めてしまったら早いとこ済ませてしまいたいという気持ちと、おかしなものだけど新しい体験へのワクワク感が入り交じって・・・。

そうして初めての入院、手術を体験することになったのです。

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by kyoyoshi215 | 2007-05-10 05:56 | 病気