同じ指揮者でオペラ3本
最近、カフェやらレストランやら散歩やら花見やら・・・・・とそんな話題ばかりでしたが
イースター中はコンサートもオペラもあまり食指がうごかなかったのね。
でもそんな中、オペラを3つ観ました。
4/9 R・シュトラウス『バラの騎士』
4/19 R・ワーグナー『パルジファル』
4/21 R・ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』
3つのオペラの感想を一度に書こうっていうのもなかなか大雑把なんだけど、それには理由があるのね。思い切ってまとめちゃうと、
「音楽的にがつ~んっ!って来なかった。多分それって指揮者のせい!?」。
どれも4~5時間の長時間オペラばかり。イタリアベルカントオペラに代表される、薄いオーケストラの「伴奏」に乗っかって耳障りのいいメロディーを繋げていくタイプのオペラと違って、こちらは、オーケストラが作り上げている大きな音楽の渦の中に歌手たちという小船が波乗りをしている感じ。当然、全体の音楽作りが最終的な満足度に大きな大きな役割を果たします。そんなオペラを三つとも同じ指揮者ペーター・シュナイダー(Peter Schneider)での観劇となり、どれも多少の差はあれ先月のランニクルス(Runnicles)による『死の街』やビシュコフ(Bychkov)による『ローエングリン』の様な感動を得られなかったのはやはり・・・指揮者に因ると思われ・・・。
バラ騎士のとき既にこの不満足感は顕著で、歌手の良さとオケの趣味(ウィーンフィルはR・シュトラウスとワーグナーが基本的に好きみたい)に助けられたなぁっていうのがまず感じたこと。バラ騎士がわたしの一番好きなオペラだというせいで要求も高いし判断も厳しくなることを除いたとしてもなんだかぼやけた印象を残してました。続くパルジファルでリベンジを期待したのだけれど敢え無く撃沈。トリスタンで少々巻き返し?っという程度。もしかして、ウィーンフィルと相性悪いのかな・・・。それとも私との相性悪い!?(笑 そのほうが合ってるかもね。だってカーテンコールの時大変歓迎ムードでブラボー飛んでるし、シーズン中かなり出番多いし(だから立て続けに三回観ちゃったんだし)、トリスタンの時同じロジェに座ったおばさんに到っては私が特に不満だった「指揮者とトリスタン役のテノール歌手」を絶賛・・・!返す言葉がありませんでした。こういう時はいいと思ったことだけ口にするに限ります。スモールトークの場でとことん議論できないから。
人それぞれの感じ方ってこうも違うかと思うほど感想や意見って見事に逆さまの人に出会うことがある。それでいいのよね。感じることは正しいとか間違っているって絶対ないし、とことん感じて感じつくしてその感性に自信を持つべきだと思う。こちらの人たちはそれを実に自然に身に着けています。日本人がなかなかできないことの一つ。裏返せば「柔軟だ」ということなのですけど。
このことはまた大きなテーマですので今回は掘り下げないでおきましょ。
さて、歌手とウィーンフィルに助けてもらった三公演でした。その歌手ですが、特筆するならバラ騎士のElina Garanca、パルジファルのAngela Denoke、トリスタンのDeborah Polaski。三人とも他から際立って存在感が凄い。あれだけ大きな舞台になるとてきめんにこの「存在感」がものいう。もちろん、「声」そのものを含めての「存在感」。この人ばかり聴いている自分の耳に気がつく。どうしても目がその人を追っている。好き嫌いを超えての圧倒的説得力で惹きつけてしまうんだなぁ。だってGarancaは私の好みだったけど他二人は決して好きなタイプの声じゃないし見た目だって「?」だもの。
演出に関しては例の如く口数少なくなる私です。従来のOtto Schenk演出のバラ騎士にはもう触れる必要がないと思いますけど(私は大好き!)、ワーグナーは両方ともこの2~3年ほど前の新演出。やはり「?」が多い。でも、それは私自身の不勉強に因るものが大きいと思われるので語りません。
ひとつだけ。残念ながらまた気に入らなかったことなんだけど。トリスタンでの歌手の演技が不自然極まりなく聴いているだけだったらいいんだけど観ると興ざめする場面がしばしば。これは演出のせいだと・・・。変な動作をさせすぎ。タイミングも合わずぎくしゃく。プレミエメンバーじゃないにしても演出が歌手に浸透してないのはその内容の弱さのせいだと思ってしまいます。第2幕の「愛の二重唱」のくだりがこの日の一番の出来でようやく私も深いため息(いい意味のね)をつくことができたのだけど、トリスタンとイゾルデが舞台際の中央に棒立ちになり微動だにしない状態でうしろの舞台装置と照明だけが静かに変化していく。歌手が変な動きをしないおかげで、高い集中と音楽的緊張が邪魔されることなく大きな大きなひとつのうねりになってました。(あ~よかった!いいところもあった!)
オペラは総合芸術。ひとつの舞台を作り上げるのに計り知れないほどの労力が注ぎ込まれていて、そのどれもが重要で大変な仕事。小さなオペラプロジェクトの仕事しかしたことない私でも充分のそ大変さはわかっているつもり。でも一聴衆になったときにはあくまでもそのクオリティーに敏感になってしまいます。贅沢なことですよね・・・。
♪余談♪ ウィーンに来たてのころは3日とあけず立ち見でオペラ通いをした私ですが、最近はさすがに立ち見はキツイ。そんな私のお得意の手は
開演ぎりぎりに一番高い席を二束三文でゲット!
この際、大事なポイントは
・一番高い席に座れる格好
・ダメもと精神
・コミュニケーション力
・根気
・あきらめのよさ
・適度の図々しさ
でしょうか。長時間オペラは狙いどころです。
お試しあれ!
♪クリック♪
イースター中はコンサートもオペラもあまり食指がうごかなかったのね。
でもそんな中、オペラを3つ観ました。
4/9 R・シュトラウス『バラの騎士』
4/19 R・ワーグナー『パルジファル』
4/21 R・ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』
3つのオペラの感想を一度に書こうっていうのもなかなか大雑把なんだけど、それには理由があるのね。思い切ってまとめちゃうと、
「音楽的にがつ~んっ!って来なかった。多分それって指揮者のせい!?」。
どれも4~5時間の長時間オペラばかり。イタリアベルカントオペラに代表される、薄いオーケストラの「伴奏」に乗っかって耳障りのいいメロディーを繋げていくタイプのオペラと違って、こちらは、オーケストラが作り上げている大きな音楽の渦の中に歌手たちという小船が波乗りをしている感じ。当然、全体の音楽作りが最終的な満足度に大きな大きな役割を果たします。そんなオペラを三つとも同じ指揮者ペーター・シュナイダー(Peter Schneider)での観劇となり、どれも多少の差はあれ先月のランニクルス(Runnicles)による『死の街』やビシュコフ(Bychkov)による『ローエングリン』の様な感動を得られなかったのはやはり・・・指揮者に因ると思われ・・・。
バラ騎士のとき既にこの不満足感は顕著で、歌手の良さとオケの趣味(ウィーンフィルはR・シュトラウスとワーグナーが基本的に好きみたい)に助けられたなぁっていうのがまず感じたこと。バラ騎士がわたしの一番好きなオペラだというせいで要求も高いし判断も厳しくなることを除いたとしてもなんだかぼやけた印象を残してました。続くパルジファルでリベンジを期待したのだけれど敢え無く撃沈。トリスタンで少々巻き返し?っという程度。もしかして、ウィーンフィルと相性悪いのかな・・・。それとも私との相性悪い!?(笑 そのほうが合ってるかもね。だってカーテンコールの時大変歓迎ムードでブラボー飛んでるし、シーズン中かなり出番多いし(だから立て続けに三回観ちゃったんだし)、トリスタンの時同じロジェに座ったおばさんに到っては私が特に不満だった「指揮者とトリスタン役のテノール歌手」を絶賛・・・!返す言葉がありませんでした。こういう時はいいと思ったことだけ口にするに限ります。スモールトークの場でとことん議論できないから。
人それぞれの感じ方ってこうも違うかと思うほど感想や意見って見事に逆さまの人に出会うことがある。それでいいのよね。感じることは正しいとか間違っているって絶対ないし、とことん感じて感じつくしてその感性に自信を持つべきだと思う。こちらの人たちはそれを実に自然に身に着けています。日本人がなかなかできないことの一つ。裏返せば「柔軟だ」ということなのですけど。
このことはまた大きなテーマですので今回は掘り下げないでおきましょ。
さて、歌手とウィーンフィルに助けてもらった三公演でした。その歌手ですが、特筆するならバラ騎士のElina Garanca、パルジファルのAngela Denoke、トリスタンのDeborah Polaski。三人とも他から際立って存在感が凄い。あれだけ大きな舞台になるとてきめんにこの「存在感」がものいう。もちろん、「声」そのものを含めての「存在感」。この人ばかり聴いている自分の耳に気がつく。どうしても目がその人を追っている。好き嫌いを超えての圧倒的説得力で惹きつけてしまうんだなぁ。だってGarancaは私の好みだったけど他二人は決して好きなタイプの声じゃないし見た目だって「?」だもの。
演出に関しては例の如く口数少なくなる私です。従来のOtto Schenk演出のバラ騎士にはもう触れる必要がないと思いますけど(私は大好き!)、ワーグナーは両方ともこの2~3年ほど前の新演出。やはり「?」が多い。でも、それは私自身の不勉強に因るものが大きいと思われるので語りません。
ひとつだけ。残念ながらまた気に入らなかったことなんだけど。トリスタンでの歌手の演技が不自然極まりなく聴いているだけだったらいいんだけど観ると興ざめする場面がしばしば。これは演出のせいだと・・・。変な動作をさせすぎ。タイミングも合わずぎくしゃく。プレミエメンバーじゃないにしても演出が歌手に浸透してないのはその内容の弱さのせいだと思ってしまいます。第2幕の「愛の二重唱」のくだりがこの日の一番の出来でようやく私も深いため息(いい意味のね)をつくことができたのだけど、トリスタンとイゾルデが舞台際の中央に棒立ちになり微動だにしない状態でうしろの舞台装置と照明だけが静かに変化していく。歌手が変な動きをしないおかげで、高い集中と音楽的緊張が邪魔されることなく大きな大きなひとつのうねりになってました。(あ~よかった!いいところもあった!)
オペラは総合芸術。ひとつの舞台を作り上げるのに計り知れないほどの労力が注ぎ込まれていて、そのどれもが重要で大変な仕事。小さなオペラプロジェクトの仕事しかしたことない私でも充分のそ大変さはわかっているつもり。でも一聴衆になったときにはあくまでもそのクオリティーに敏感になってしまいます。贅沢なことですよね・・・。
♪余談♪ ウィーンに来たてのころは3日とあけず立ち見でオペラ通いをした私ですが、最近はさすがに立ち見はキツイ。そんな私のお得意の手は
開演ぎりぎりに一番高い席を二束三文でゲット!
この際、大事なポイントは
・一番高い席に座れる格好
・ダメもと精神
・コミュニケーション力
・根気
・あきらめのよさ
・適度の図々しさ
でしょうか。長時間オペラは狙いどころです。
お試しあれ!
♪クリック♪
by kyoyoshi215
| 2006-04-24 18:34
| 音楽